50歳を超えた現在でも、歌手として第一線で活躍している西川貴教さん。
現在は、ミュージシャンとしてよりも、筋肉系キャラとしてテレビに出演する機会が増えています。
そんな西川貴教さんの昔の幼少期からデビュー時代というのは、どのようなキャラだったのでしょうか?
過去の画像を見ながら詳しく解説していきます。
目次
西川貴教の昔の画像(幼少期)
こちらの昔の画像は、西川貴教さんが生まれたばかりの時の画像です。
父親は、地方公務員をしており、かなりお堅い家柄という事が分かります。
父親に抱かれていますが、かなりのおじいちゃん子で、幼少期はおじいちゃんに可愛がられていたとの事です。
西川貴教の昔の画像(学生時代・小学生)
小学生時代の西川貴教さんになります。
この時代でも、まだ面影を感じませんが、この頃にはすでに音楽の素晴らしさに目覚めて、将来は歌手になる事を夢見ていた時期です。
音楽家としては、作詞も務めていますが、この頃から自作の作詞なども手掛けていたのかもしれません。
西川貴教の昔の画像(学生時代・高校生)
地元の滋賀県の小中学校を卒業した西川貴教さんですが、高校はスポーツの盛んな野洲高校に進学します。
特にサッカーの強豪校で、卒業生に乾貴士選手がいます。
バンド活動にはまり、高校の方は中退されてしまいました。
西川貴教の昔の画像(Luis-Mary時代)
高校を中退して、音楽の専門学校「大阪スクールオブミュージック専門学校」に進学し、大阪でLuis-Mary(ルイ・マリー)というバンドを結成します。
ここでのバンド活動が忙しくなり、こちらの専門学校も中退してしまいましたが、Luis-Maryとしてインディーズからメジャーデビューを果たしました。
1993年~1995年の約2年間活動し、シングル3枚とアルバム3枚をリリースしましたが、ほとんど売れる事は無くバンドは解散となりました。
西川貴教の昔の画像(浅倉大介プロデュース始動)
access(アクセス)で人気を博し、音楽プロデューサーに転向した浅倉大介のプロデュースの元で再始動します。
再始動時は、西川貴教さんにしては珍しい黒髪の状態でしたね。
正式なソロデビューは1996年からで、T.M.Revolutionで再始動してから徐々に売れ始めていきます。
西川貴教の昔の画像(TMRの初期時代)
ようやくT.M.Revolutionとして再始動した訳ですが、この頃からテレビに出ていても物怖じしない、堂々とした語り口で会場を沸かせていました。
再デビュー当時は、プロデューサーの浅倉大介さんと2人でテレビに出る事が多く、徐々に認知度が増していきました。
この頃はまだヒット曲が出ていなくブレイク前でした。
西川貴教の昔の画像(TMRでブレイク①)
NHKのポップジャムなどの音楽番組に出演していた西川貴教さんですが、石橋貴明さんと中居正広さんが司会をしていた「うたばん」への主演が転機となりました。
注目のアーティストとして出演した、西川貴教さんは司会の石橋貴明さんに「ギター漫談家の堺すすむに似ている」として盛り上がりました。
その後もうたばんに出演していましたが、西川貴教さんが出演すると爆発的に視聴率が上がり一気に人気者となったのです。
HEYHEYHEYにも出演
TBSのうたばんで、人気者となった西川貴教さんは、ダウンタウンが司会のHEYHEYHEYにも出演します。
ここでも、ダウンタウンとのやり取りで、会場の笑いを取り高視聴率をマークしました。
西川貴教さんは、キャラが売れてから楽曲が売れるという新しい形を作った初めてのアーティストになります。
T.M.Revolutionとして再始動してから、わずか2年足らずで一気にスターとなってしまったのです。
その後もヒット曲を飛ばしたり、紅白に出場したりと国民的な人気を得ていきました。
まとめ
T.M.Revolutionの西川貴教さんの昔の画像で振り返ってみました。
こう見てみますと、再デビュー当時の1997年~1998年頃が一番勢いがあったように感じます。
デビュー当初から、ダウンタウンの浜田雅功さんに食って掛かるなど、大物にも屈しない気の強さも見物でしたね。
現在では、体を鍛える事に注力していますので、そちらの方も見て頂けると有難いです。