西田藍のwikiプロフ!中学と高校は?ハーフで現在はSFアイドル

アイドルや書評家として活動する西田藍さんですが、ハーフに生まれてきたことで、数奇な人生を歩んで来られました。

西田藍さんのこれまでの人生とは、どのような物だったのでしょうか?

今回は、西田藍さんのwikiプロフィールや学歴、アイドルオーディションの真相や現在の職業などについて詳しく調査していきます。

・プロフィール

・学歴

・アイドルオーディション

・現在の職業

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西田藍のwikiプロフィール

氏名:西田藍(にしだあい)
生年月日:1991年10月20日
現年齢:29歳
出身地:熊本県
身長:167cm
職業:アイドル・モデル・エッセイスト・ライター・書評家

ハーフとしての人生

西田藍さんは九州の熊本に生まれ、父親はアメリカ人で母親は日本人のハーフとして育ちました。

幼稚園の時は、それほどまでに容姿にコンプレックスはありませんでしたが、小学校に入学してからは誹謗中傷的な言葉をかけられることがあったといいます。

西田藍さんは、親の仕事の関係でよく転校をしていましたが、転校先の生徒に「外人」や「外人は日本へ帰れ」といったからかいの言葉を言われることがありました。

ハーフあるあるですが、本人はそこまでいじめられているという認識はなく、同姓からは「ハーフで可愛い」といった事も言われることもあり、あまり気にしていなかったようです。

容姿は確かにハーフの顔立ちですが、本人は生粋の日本人という意識が強く、そのような「からかい」にも動じることは無かったといいます。

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西田藍の学歴(中学校)

西田藍さんは、地元は熊本県でしたが、親の仕事の関係で転校を繰り返しており、中学校は福岡市立の中学校を卒業されています。

こちらが、2007年の3月に中学生時代に同級生と撮られた写真です。

福岡県の中学校では、複数の中学校で同様のデザインのセーラー服を採用されていました。

制服を見比べてみると非常に似てはいるのですが、首周りのラインが3本線だったりと、微妙に違っています。

調査しましたが、どこの中学校というのは特定する事は出来ませんでした。

西田藍さんが中学校を卒業したのは、10年以上も前ですので制服もリニューアルした可能性があります。

西田藍の学歴(高校)

西田藍さんは、中学時代から不登校気味でしたが、何とか高校進学は果たしました。

しかし、高校生活はなじめずに直ぐに保健室登校になってしまったといいます。

高校1年のゴールデンウィーク明けに学校へ行けなくなり、保健室登校を交えながら頑張ったんですが、留年が確定して12月に中退したことで変わりました。私はダメだという思いが強くなったんです。

引用元:NEWSポストセブン

高校は、入学して僅か1ヵ月程度しか通えず退学してしまいました。

高校では、友人もできたのですが、退学してしまった理由をこのように述べています。

学校で嫌なことは何も起きなかったのに、全日制の高校が合わなかった。無理に行くと頭痛がひどかったし、通学路でうずくまって動けなくなり同じところをぐるぐる歩いたり。

すごく仲が良い友だちとクラスが一緒だったのに、それも学校へ行く理由にならなかった。高校にちゃんと行けなかったことは、今も深い影を落としていると思います。

引用元:NEWSポストセブン

正に体が受け付けなかったという事です。

後になって後悔しましたが、それでもその時に高校に行く事は無理でした。

西田藍さんが通っていた高校については、今も分かっていませんが、中退していてトラウマになっていることから、今後も出身校については答えることは無いでしょう。

その当時は、福岡市に住んでいたことから、市内の高校に行っていた可能性が高いです。

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アイドルオーディションが人生の転機に

西田藍さんは、中学1年生からモデル事務所に所属していましたが、特に目立った活動はしていませんでした。

高校を中退して、家に引きこもりがちだった時に「ミスiD2013」のアイドルオーディションが開催されることを知り、応募締め切り1時間前という奇跡的なタイミングで、ギリギリ応募する事が出来たのです。

もし間に合わなかったら人生が変わっていたでしょう。

その時の年齢は20歳で、アイドルとしては遅かったですが、思い切ってオーディションにチャレンジしました。

その時の様子がこちらです。

この時のオーディションでは、沖縄出身の玉城ティナさん(当時14歳)がグランプリに輝きましたが、西田藍さんは、準グランプリという結果でした。

グランプリは取れませんでしたが、このオーディションがきっかけとなり、ライターとしての仕事をするようになりました。

といいますのもオーディションの時に、掲示板に自己PRを書くという審査があったのですが、関係者の人にもっと書いた方が良いと勧められ、その後にライターの仕事の依頼を受けるようになったといいます。

これがライターになったきっかけでした。

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アイドルはモーニング娘のファンだった

西田藍さんは、昔からアイドルに強い憧れを抱いていたわけではなかったのですが、モーニング娘の道重さゆみさんのファンでした。

ミスiD2013のオーディションの応募をした時も、モーニング娘のコンサートに行った次の日で、テンションが上がっている状態で、その勢いのまま応募したのかもしれません。

今でも道重さゆみさんを敬愛しており、好きな本のベスト3に「道重さゆみ写真集」をランクインさせているほどです。

グラビアモデルとしては売れず

モデルとして良いスタイルでもないし、顔立ちに癖があるから正統派女優は絶対無理。そもそも肌が荒れているからテレビに映せる顔じゃない。

ショーモデルとしても背が高くないし、細くないし、運動神経もイマイチ。アイドルなんて思いつきもしませんでした。

引用元:NEWSポストセブン

グラビアモデルなどの仕事にもチャレンジしましたが、売れる事はありませんでした。

背も高くスタイルもそこそこ良いですが、やはり他のグラビアモデルと比べますと、特別抜きんでた要素が無く埋もれてしまったという事です。

西田藍の現在の職業は?

西田藍さんは読書好きで、執筆にかかわる仕事が現在の主な仕事だといいます。

特にSF系の書籍を好み、SFマガジンでも連載を持つほどです。

今では、SFアイドルや文学アイドルとして、コアなジャンルのアイドル路線で勝負をかけています。

年齢的に、アイドルという肩書が無くなったら、SF小説家としてデビューするかもしれません。

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西田藍の卒業アルバムが話題に

西田藍さんはハーフで、元々の髪の色は茶色がかっているといいます。

小学生の時は特に何もなかったのですが、中学に入ってから校則で茶髪禁止というルールがあった事で、卒業写真の髪の色を勝手に黒色に変えられてしまったというのです。

本人に何の許可も無く、このような加工をしたことに強い憤りを感じたといいます。

この事実をツイッター上に拡散し、ヤフーでもトップページに上がるほどの反響がありました。

母親は、中学校に入学した際に、学校側に娘がハーフで茶髪は地毛である事を説明していたにもかかわらずに、このような行為をしたことになります。

高校でも、地毛証明書なる証明書の提出を求められて、大変なショックを受けたといいます。

ハーフというだけで、差別的ともいえる仕打ちに、心が病んでしまったのも分かる気がします。

まとめ

西田藍さんの学生時代からアイドルになるまでの過程を調査しました。

・中学時代は不登校がちで高校は1年生で中退

・アイドルオーディションにチャレンジし準グランプリ

アイドルやグラビアとしては売れずに文学アイドル、SFアイドルとしての道を探る

・中学の卒業アルバムでの出来事を暴露で注目される

このようになります。

卒業アルバムの出来事につきましては、10年以上前の出来事で、誰がこのような事をしたのかは分かりませんが、深い傷となってしまったのは事実です。

現在でもハーフタレントは、芸能界で数多く存在していますが、西田藍さんのように嫌な思いをした経験は少なからずあるはずですが、ハーフの強みなどもあるはずなので、それを生かして活躍してほしいです。

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