かつてはオリンピックのスピードスケートの選手として活躍し、現在では国会議員として活動している橋本聖子さんですが、橋本聖子さんを育てた父親とはどのような人物だったのでしょうか?
橋本聖子さんの父親は橋本善吉さんという方で、地元北海道では知らない人がいない位に有名な人物でした。
日本が誇る、有名なオリンピック選手の娘を育てた一方で、多額の借金も作っておりその生涯は波乱に満ちていました。
橋本聖子さんの父親である橋本善吉さんの借金問題や仕事、3人の子供たちの厳しいしつけ等について詳しく調査していきます。
目次
橋本聖子の父親の顔画像とプロフィール
氏名:橋本善吉(はしもとぜんきち)
生年月日:1924年
出身地:北海道安平町
職業:牧場経営・競走馬育成
死去:2020年10月19日(96歳)
死因:老衰
橋本善吉さんの両親は、他県から北海道の地に来てナタを使って広大な地を切り開き、畑にして行ったといいます。
日本が貧しい時代に両親ともに農家で育ち、ナタで木を一本一本切って畑にして、北の大地で生き抜いてきた。
引用元:mag2news
その姿を幼少期から見てきた橋本善吉さんも、小学校からあまり登校できずに両親お手伝いや行商などして仕事をしていました。
橋本善吉はマルゼン橋本牧場の経営者
橋本善吉さんは、北海道勇払郡安平町早来守田の地で、牧場を経営されていました。
牧場では、牛の買い付けと養牛を主にしていましたが、その他にもジンギスカンやサラブレッドの育成なども行っていました。
本日の風景
牧場さんのご好意で分けてもらった牧草を取りに採草地へ
いつもお世話になっている生産牧場さんの助けを借りて牧草を運ぶの巻
ありがとうございました!
しかし…ウチのボスは働かんな〜#エクワインレーシング#丸善橋本牧場
#○○のおじさんとお母さん pic.twitter.com/JiUtoSh6C9— まなてぃ (@Fukudamana) August 3, 2018
橋本牧場の敷地面積は、東京ドーム20個分ほどもある広大な土地で、橋本聖子さんも小さなころから、こちらの牧場で働いていました。
マルゼンスキーという名馬も誕生
※白いスーツが橋本善吉さん
アメリカで買い付けた、サラブレッドの繁殖牝馬シルの子供がマルゼンスキーという名馬でした。
落札価格は9000万円と高額でしたが、妻の後押しもあり購入に踏み切りました。
日本に来たシルは、その後にマルゼンスキーを産みましたが、その後競走馬として成長し8戦8勝という成績を収め、無敗のまま引退しました。
最後は、故障により止む無く引退せざる負えませんでしたが、一説にはマルゼンスキーは最速の名馬だったのではないかと競馬ファンの間では語り草になっています。
橋本聖子は父親の橋本善吉に厳しく育てられる
牧場経営は、生き物商売ですので休みというものがありません。
飼っている牛や馬の世話を毎日しなければいけませんし、朝も早いのが特徴です。
ただでさえ寒い北海道で、橋本聖子さんを含む3人の兄弟は、牧場で過酷な仕事の手伝いをしていたのです。
両親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もありませんでしたが、家事や牧場の仕事の手伝いをするのは、当然のことでした。牧舎の敷き藁(わら)の交換、馬や牛への餌やりや農場の野菜の間引きは、生きものの命を左右します子どもだからといって、責任逃れは許されません。
引用元:私の礎
牧場の手伝いの他にも、父親の身の回りの世話をするのは子供たちの仕事で、小さい頃から様々な事をやらされてきました。
・挨拶の時は、正座をして三つ指をつかなければいけない。
・ご飯を給仕して父に手渡すときは、必ずお茶碗に両手を添えて渡さなければ許されない。
・胃薬でも父が薬のビンに手をかけた間に、水の入ったコップを出さないと強い口調で怒られる。
・外出した父が帰宅した時は父の車のヘッドライトが遠くに見えると、家族は急いで外に出て、ガレージの扉を開く。
引用元:mag2news
普段の言葉使いも重要で、両親に対する敬語はもちろんの事、兄弟間であっても敬語を使うように言われていました。
橋本聖子さんは、4人兄弟の末っ子だったために、家族の中では一番下で、全員に敬語で接していたということになります。
橋本聖子をオリンピック選手に
父親の橋本善吉さんの夢が、娘の橋本聖子さんをオリンピック選手に育て上げる事でした。
※橋本聖子さんの聖子は、オリンピックの聖火から名付けられています。
「彼女の名前の『聖』の字は、五輪の聖火からきています。生まれ年の1964年東京五輪の聖火に感動して、彼女の父親がそう名づけました」
引用元:FLASH
また橋本善吉さんは、普段から怒鳴ったり手を上げる事も多く、時には薄氷の張った池に橋本聖子さんを頭から投げ入れた事もあったそうです。
そんな状況下にあっても、橋本聖子さんは泣くことさえも許されませんでした。
幼少期からの過酷な練習や生活もあってか、橋本聖子さんは北海道のみならず、日本を代表するスピードスケートの選手となりました。
橋本聖子の実家の借金20億円とは?
橋本牧場の経営も順調で、サラブレッドのマルゼンスキーという名馬も育て上げた橋本善吉さんですが、かなりの借金があったといいます。
父は地元・北海道で名士と呼ばれる一方、借金問題で週刊誌を騒がせてきた。バブル期に競走馬を生産する牧場経営を拡大。「千歳信用組合」から16億円もの融資を受けたが、返済は滞り、そのあおりで信組は99年に破綻してしまった。
引用元:日刊ゲンダイ
時はバブル期で、何をやっても儲かる時代でした。
どの企業も、設備投資に走り無理な経営をしてもリーターンで稼げましたが、バブル崩壊後はそのツケが回ってきました。
千歳信用組合は、橋本善吉さんが作った膨大な借金や業績不振などが災いして1999年に破綻しています。
選挙活動費でも金銭トラブル
橋本聖子さんは、2006年の41歳の時に選挙資金の名目で、知人女性から2200万円を借り受けました。
その内の200万円は父親の橋本善吉さんが直接現金で支払い、500万円は橋本聖子事務所名義で返済したといいます。
・借金 2200万円
・返済額 200万円+500万円(700万円)
【残り1500万円】
残りの借金1500万円の返済を巡って裁判となりましたが、お金を貸し付けた知人女性の勝訴となりました。
当時は、橋本牧場の経営もうまくいっておらず、借金を返したくても返せない状況下にあったと思われます。
資産の差し押さえ令状が出てしまったら、自宅にあるお金になりそうなものは全て差し押さえられて、売られてしまいます。
実家の借金の現在の状況は?
借金の大元の原因を作ってしまった橋本善吉さんは2020年に亡くなってしまったので、親族が返済していくしかありません。
橋本聖子さんのご兄弟はこちらのようになっています。
①長男・橋本善一(はしもとぜんいち)
・父親の橋本善吉さんの橋本牧場を引き継ぎ経営している。
②長女・高橋睦(たかはしむつみ)
・元衆議院議員の高橋辰夫さんの奥さん。
※2001年に急性心不全で他界
③次女・小熊あさ子(こぐまあさこ)
橋本聖子さんの選挙活動の手伝いをしているのが、次女の小熊あさ子さんです。
小熊あさ子さんだけが、顔画像がありました。
児童虐待防止活動のシンボルである「オレンジリボン」を札幌市長に手渡しているところです。
④三女・橋本聖子(はしもとせいこ)
政治家・元オリンピック選手
現在でも兄弟で借金返済?
20億円以上という膨大な借金ですが、現在はどうなっているのでしょうか?
父親の資産を放棄してしまえば、借金はチャラに出来ますが、その代わりに父親の資産は全て没収されてしまいます。
4人兄弟一丸となって、借金を返済していくのではないでしょうか。
橋本善吉と韓国繋がりは別人
橋本善吉さんと韓国というキーワードがグーグルの検索に出てきますが、こちらは同姓同名の別人になります。
「橋本善吉」という、日本から朝鮮へ移住してきて大成功したある日本人の私宅も保存されてます。
この家は現在、当時の日本人の生活が見られる歴史教育の場所として使われてます。改めて言いますがここは韓国です。 https://t.co/iXAu51O9V6 pic.twitter.com/GVvrMtkc4t
— 🇯🇵セモ🇰🇷 (@Polandball_2003) December 14, 2020
こちらの橋本善吉さんは、明治生まれですし出身も香川県になります。
韓国の九龍浦というところに移り住み、イワシやサバの運搬事業で成功を収めた人物だったようです。
よって、橋本聖子さんの父親の橋本善吉さんとは赤の他人という事です。
まとめ
橋本聖子さんの父親である橋本善吉さんの詳細と、借金20億円の問題について調査しました。
橋本善吉さんがいたからこそ、橋本聖子さんがオリンピック選手として活躍出来たのがよく分かりました。
しかしその実態は非常に過酷で、今では虐待とも捉えかねないような厳しいしつけにより育てたことも浮き彫りとなりました。
借金については、あまりに金額が大きいために返済するのは難しいですが、橋本聖子さんバイタリティーで完済していくと信じています。