川淵三郎さんは、サッカーJリーグの初代チェアマンとして有名になり、サッカー界のみならず、あらゆるスポーツの躍進に貢献された人物として有名です。
知っているようで知らない川淵三郎さんのプロフィールや、家族(妻や子供)、自宅や年収などについて詳しく調査していきます。
目次
川淵三郎のwikiプロフィール
生年月日:1936年12月3日(84歳)
出身地:大阪府高石市
身長:172cm
体重:72㎏
学歴:早稲田大学第二商学部商学科
川淵三郎さんは、学生時代から運動神経が良く中学時代は野球部などに所属していました。
ここで辞めていたら人生が大きく変わっていましたね。
その後は、早稲田大学に進学し、そこでもサッカー部に入り大学時代からサッカー日本代表に選出されるなど、大物の片りんを見せていました。
日本代表では、日本サッカー界の父と呼ばれていたドイツ人のクラマーと出会い指導を受けます。
実業団のサッカー時代
早稲田大学卒業後は、古河電気工業(ジェフユナイテッド市原・千葉の前身)に入社しサッカー部にも所属しました。
当時はまだプロが無かった時代ですので、メインで会社の業務をこなしながら、サッカーの練習もするという毎日を送りました。
日本代表にも選出されていた川淵三郎さんは、1964年の東京オリンピックにも出場し、ゴールを決める活躍を見せました。
日本代表としては、68試合に出場し18ゴールを決める実績を残しました。
監督時代
川淵三郎さんは、監督としては実績が少なく、古巣の古河電気工業のサッカー部の監督4年と日本代表の監督を2年だけ就任し、その後は日本サッカー界の発展のために裏でバックアップする仕事に尽力されてきました。
日本サッカー界の重鎮へ
日本サッカーのプロ化にも大きく貢献し、Jリーグの初代チェアマンとして就任してからは、一気に知名度が上がりました。
Jリーグのチェアマンとして長く活動した後、親しみやすいようにと川淵三郎キャプテンと名称を変えて、その後も6年間在籍し、相談役として今でもサッカー界と深くかかわっています。
サッカー以外のスポーツにも貢献
川淵三郎さんと言えば、サッカーというイメージでしたが、日本のサッカーをプロ化に導いた人物として、その手腕を買われて2015年には、バスケットボール協会のチェアマンに就任します。
その後に、日本ではマイナースポーツだったバスケットのプロ化に見事成功し今があるのです。
日本でバスケットボールが、プロ化した事で、八村塁選手や1億円プレイヤーの富樫勇樹選手など多くの選手が育つきっかけとなりました。
ここまでが、川淵三郎さんの学生時代から現在までの実績になります。
川淵三郎の家族(妻や娘)は?
大きいなぁ、僕の顔は!もうすぐ名古屋。 pic.twitter.com/lQoU0nlNtj
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) April 1, 2018
川淵三郎さんには、1962年12月11日(当時26歳)にご結婚された妻の康子さんがいらっしゃいます。
川渕康子さんについては、年齢などの詳しい情報がありませんが、年齢的には同世代ではないでしょうか。
また子供はお二人で、娘さんが二人いるので、4人家族になります。
その娘さんもご結婚されていて、孫が3人いるといいます。
孫の高校2年拓郎君からの年賀状。左が去年。右が今年。我が家のリビングに貼り付けてある。左は僕が高校三年生の時全国高校選手権で負けた後のスナップ写真を合成したもの。どこから手に入れたのか⁉️そう言えばまだ確認してなかつた。 pic.twitter.com/hY0Vjs9vLr
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) January 5, 2019
川淵三郎さんのツイッターで、孫の一人である拓郎さんについての投稿がされています。
こちらは2019年で、高校2年生ということは現在は大学1年生ではないでしょうか。
川淵三郎さんのツイッターでは、たびたび孫の事がつぶやかれており、仲の良さがうかがえます。
川淵三郎の自宅はどこ?
川淵三郎さんは、51歳に千葉県千葉市に引っ越されていて、その後はずっとそこの建売住宅の方に妻とともに住んでおられます。
建物は、豪邸ではなくどこにでもあるような普通の住居で、長い間こちらで住まわれています。
※川淵三郎さんのインタビューから再生されます。
こちらの動画の横に映っている住宅が、千葉市にある川淵三郎さんの自宅になります。
自宅前で、インタビューを受ける事も多く、オリンピック組織委員会会長の打診を受けた時も大勢のマスコミが自宅前に張り込んで、取材を受けていました。
川淵三郎の年収はいくらか?
住まいは、庶民的な家に住んでおられますが、川淵三郎さんの年収はいくらあるのでしょうか?
80歳を超えても、日本スポーツ界の為に働いている川淵三郎さんですので、相当な金額を稼がれていると思われます。
川淵三郎さんの現在の年収については明確な答えがありませんでしたが、過去の記事で年収を告白しています。
2014年
「川淵理事長は、だいたい週に2回出勤し、職員から大学の運営状況の報告を受けたりしています。八王子にも理事長室があり、週に1回行き、公用車もつきます。年収は2千万円ぐらいです」(同大学)
引用元:AERA
当時、川淵三郎さんは77歳で、日本サッカー協会の最高顧問をしていました。
その時の年収は、2000万円ぐらいだったと証言されていました。
現在の年収は不明ですが、今でもエグゼクティブアドバイザーや顧問などの肩書を持っているので、数千万の年収はあると見られています。
川淵三郎がオリンピック組織委員会会長の候補に挙がるも辞退
森喜朗さんの不適切発言で辞任に追い込まれたオリンピック組織委員会会長職ですが、川淵三郎さんに白羽の矢が立ち、候補に挙がりました。
自身にとっても青天の霹靂でしたが、打診を受けたからには尽力すると発言されていました。
しかし、世論や政府などから批判が相次ぎ辞退となりました。
ネットでは不評だった
数々の実績を上げられてきた川淵三郎さんですが、ご高齢であることを理由にネットでは、適任ではないと批判的なコメントで溢れていました。
〇なぜ高齢者が代表じゃないといけないのか。
〇川淵さんには失礼ながら、Jリーグ立ち上げ時の力はもうないでしょう。
〇次期会長の川淵自身が「無観客は、値打ち、どこにある?」と言ってるんだから、オリンピックは中止でしょ。
〇森喜朗、本人から要請を受けた?これはダメでしょ。
今回、森喜朗さんが、女性蔑視の発言をしたことが問題で辞任したので、年齢の若い女性が務めるのがベストではないか?と言われていました。
森喜朗さんよりも1歳年上の川淵三郎さんが選ばれたことに納得がいかなかったようです。
川淵三郎と森喜朗の不思議な縁
森喜朗 (83):早大第二商学部商学科卒
川淵三郎(84):早大第二商学部商学科卒東京オリンピック競技大会組織委員会
会 長:森
評議員:川淵(猪瀬の選挙対策本部長)日本トップリーグ連携機構
(Jリーグ、なでしこ、Bリーグ、ラグビー等が所属)
初代会長:森
2代目会長:川淵あっ… pic.twitter.com/LSo8uQXf9X
— 夜鶯 (@ultraman_DT) February 11, 2021
川淵三郎さんと森喜朗さんは、年齢も一つ違いで、学歴も一緒という奇跡の一致をしております。
※川淵三郎さんは2浪人です。
そういった経緯もあり、森喜朗さんが川淵三郎さんにオリンピック組織委員会会長の後任を打診したのではないでしょうか。
そもそも不適切発言で辞任した森喜朗さんが、後任を指名した事も批判の対象となりました。
まとめ
川淵三郎さんのプロフィールや経歴などを調査しました。
これまでにサッカー界のみならず、スポーツ界を盛り上げるために様々な業界でトップに立ち尽力されてきました。
最後の大仕事という事でオリンピック組織委員会会長のという大役を担うはずでしたが、残念な結果となってしまいました。
ご高齢ではありますが、別の分野での活躍に期待しています。