赤木俊夫さんの奥さんが2年後に遺書を公開した理由とは?国を相手に提訴も

今から約2年前の2018年3月7日にじさつしてしまった赤木俊夫さん。

赤木俊夫さんは、死の直前に遺書を書いていた事が明らかとなりました。

当時の上司だった佐川理財局長に指示され、決裁文書の改ざんに手を染めてしまったのです。

上司の指示に逆らえるはずもなく、前代未聞の悪事に手を染めてしまった赤木俊夫さんですが、その後自ら命を絶ってしまわれました。

赤木俊夫さんの遺書には、何がかかれていたのでしょうか?また、なぇ2年後の今になって赤木俊夫さんの奥さんが公開しようと決意されたのでしょうか?

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赤木俊夫の奥さんが2年後になって遺書公開した理由

赤木俊夫さんの奥さんが、今になって遺書の全文を公開する気になったのは、「NHKをぶっ壊す」でお馴染みの、立花孝志さんの存在が大きかったといいます。

立花孝志さんと赤木俊夫さんの奥さんは、交流があって今回の遺書の公開も事前に知っていたといいます。

遺書公開まで2年もかかった真相

立花孝志さんの話ですと、赤木俊夫さんの奥さんが今まで遺書を公開しなかったのは、単純に財務省が怖かったからだというのが真相のようです。

このまま黙っているのも得策と言えますが、やはり大事な夫が財務省の犠牲になって事が許せなかったのでしょう。

元国会議員でもある立花孝志さんの後押しも得て、今回の遺書公開となった訳です。

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赤木俊夫の奥さんは国と佐川理財局長を提訴

赤木俊夫さんの奥さんは、国と佐川理財局長を相手取り、弁護士を通して裁判を起こしました。

裁判を起こして、夫の無念を晴らす為には裁判に勝つしか方法はありません。

有利に裁判を進める為にも、今回の遺書公開というのは、非常に有効ではないかと見ています。

国はさて置き、佐川理財局長は森友学園問題で依願退官されていて、社会的な制裁は受けてはいますが、奥さんとしてはまだ納得がいっていないのでしょう。

今後の裁判の行方はどうなるのでしょうか。

赤木俊夫が残した遺書の内容とは?

※生前の赤木俊夫氏

遺書の内容(抜粋)

〈この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。

 事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。

 今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55才の春を迎えることができない儚さと怖さ)

 家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。

(中略)

 さようなら〉

自分が犯してしまった罪を、こういった形でしか責任が取れなかったという文章に感じます。

しかし、死ぬことへの恐怖も綴られています。

文章からも、かなり責任感の強い方だったと分かります。

まとめ

赤木俊夫さんの奥さんが、遺書を公開したという事でかなりの反響がありました。

今後は、国と佐川理財局長を相手取り、裁判を起こしましたがどうなるのかが見物です。

奥さんは大阪地裁に申し立て、1億1千万円の損害賠償請求訴訟を起こしました。

裁判に勝ったとしても赤木俊夫さんは戻ってきませんが、無念は晴らすことができます。

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