【肉声動画】廣瀬爽彩が「なあぼう」にいじめ相談!絵や詩も披露

北海道旭川市で起きた、廣瀬爽彩さんの凄惨な事件ですが、生前にネットを使って相談をしていたことが分かりました。

廣瀬爽彩さんが、相談していた相手とは、主にツイキャスを使って活動をしている「なあぼう」さんという方です。

その相談内容とは、どのような物だったのでしょうか?

今回は、廣瀬爽彩さんがなあぼうさんに相談した内容や、その時に公開した絵や詩についてお伝えしていきます。

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【肉声動画】廣瀬爽彩がなあぼうにいじめの相談をしていた

廣瀬爽彩さんが、なあぼうさんに相談凸してきたのが、2020年11月7日でした。

自〇をほのめかして、自宅を飛び出したのが2月13日でしたので、約3ヵ月前の事です。

時系列はこのようになります。

なあぼうに相談凸 2020年11月7日

自宅を出る 2021年2月13日

公園で遺体を発見 2021年3月23日

わずか数ヵ月で、このような出来事が起きてしまいました。

相談を受けたなあぼうさんも、そのわずか数ヶ月後に、このような事態になるとは想像も出来なかったでしょう。

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廣瀬爽彩がなあぼうに相談してきた内容

廣瀬爽彩のいじめの実態

廣瀬爽彩さんが相談してきた時は中学2年生でしたが、中学1年生の2学期から学校へは行けなくなってしまいました。

いじめてくる相手は、主に同姓の先輩で、たまに異性からも嫌がらせを受けていたといいます。

学校へ行かなくなってからは、外出する事もあまりなく自宅で引きこもっているような状態でした。

廣瀬爽彩の家庭環境

廣瀬爽彩さんは、母子家庭で父親はいないといいます。

その為、学校での友人も少なかったために、普段相談できる相手は母親しかいなかった事になります。

学校でのいじめについて担任の先生にも相談しましたが、まともに取り合ってもらえなかったそうです。

そういった状況から、ネット配信者のなあぼうさんに相談してきたものとみられます。

廣瀬爽彩の病気

廣瀬爽彩さんは、自閉症スペクトラム症で高機能自閉症である事を告白されました。

高機能自閉症とは、相手と上手くコミュニケーションが取れない病気だといいます。

しかし、なあぼうさんとスカイプで通話している時は、全くそのような感じには見えずに、中学2年生とは思えないようなハキハキとして元気な女の子というような印象でした。

スカイプの様な、直接顔を合わせない状態ですと、上手く喋れたのかもしれません。

廣瀬爽彩は学校に行きたいけど行けない

廣瀬爽彩さんは、先輩からのいじめを受けて、学校には行けずに自宅で引きこもるような生活をしていました。

しかし本人は、学校へは行きたいといいます。

行けない理由はこちらになります。

・学校に行くと気分が悪くなり1時間や2時間が限界

・学校に行くまでの体力がない

また、これらの事情により、高校進学が難しい状況だったといいます。

・出席日数が足りないので普通の高校(全日制)には行けない

・内申点が足りない

学校に行っていないので、出席日数が足りないのは当然ですが、通信制の高校にはなるべくなら行きたくないといいます。

その理由が、家での勉強が苦手だからです。

学校へは行っていなかった廣瀬爽彩さんですが、頭はそれほど悪くなく、高校へは行ける可能性はあったのですが、様々な事情により難しい状況ではありました。

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廣瀬爽彩が学校へ行けなくなってしまった理由はPTSD?

学校に行っても気分が悪くなってしまうという症状は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の可能性が高かったと思われます。

通っていた中学校では、性的な嫌がらせを受けたり、トイレで腹パンといった身体的ないじめも受けていたという廣瀬爽彩さん。

そのようないじめが続き、精神的にも肉体的にも傷を負ってしまい、学校に行こうにも体が受け付けなかったのではないでしょうか。

PTSDは、体を守るための拒否反応ですので、自分ではどうする事も出来ません。

これまで、人に言えないようないじめが続き、結局自宅に引きこもる選択が、自分にとって最も良い選択と捉えていたのでしょう。

本人は、勉強も好きで学校には行きたかったのですが、このような状態が続いてしまっては、行きたくてもいけないのが当然です。

学校は何もしてくれない

このような状態でありながら、最悪な結果を招いた事で、廣瀬爽彩さんの通っていた学校では1日数百件もの問い合わせや、苦情の電話が殺到しました。

あまりの苦情の多さに、学校では電話に出ないという対策をしています。

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廣瀬爽彩は絵や詩を書くのが好き

廣瀬爽彩さんは、なあぼうさん相談凸した時に、絵や詩を書くのが好きだと言いました。

その時に公開された絵と詩がこちらです。

かなり個性的な絵で、美術系の学校を目指した方が良かったと思えるほどです。

廣瀬爽彩さんが書いた詩はこちらです。

あまり歌などは聞かなかったそうですが、独自の想像力を使って思いのままに書き綴りました。

この詩に、なあぼうさんも作詞の才能を認めていました。

コレコレにも連絡していた

実は廣瀬爽彩さんは、以前にコレコレさんに凸した事があり、自慢の絵を見てもらいました。

その時、コレコレさんは個性的な絵だと、褒め称えていました。

コレコレさんが覚えていたという事は、かなり印象的だったことが伺えます。

まとめ

廣瀬爽彩さんが、なあぼうさんに相談凸をしていたという事でお伝えしました。

生前の肉声を聞けただけも貴重でしたが、想像していたよりも非常に明るくハキハキとした口調なのに驚きました。

元々の性格は、非常に明るい女の子だったのかもしれませんが、いじめを受けて性格も変わってしまったのかもしれません。

相談を受けたなあぼうさんは、廣瀬爽彩さんの訃報を知りツイッターでこのようなコメントを出されていました。

今回は、残念な結果となってしまいましたが、廣瀬爽彩さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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