演歌界の大御所である北島三郎さんの息子で次男の大野誠さんが、2018年の3月3日に東京調布市の自宅で亡くなっているのが見つかりました。
大野誠さんは死後一週間ほど経過しており、未婚だった為自宅には誰もおらず孤独死だったという事です。
大野誠さんの親族が連絡がつかない事を不審に思い警察に連絡し、警察と共に自宅に訪れたところ、服を着用したままで倒れている大野誠さんを発見したといいます。
自宅は施錠されていた為、事件性というのは薄く病死だったと見られています。
大野誠さんの死の真相について詳しく調査します。
目次
大野誠(北島三郎息子)の死因は心不全
大野誠さんの父親である北島三郎さんが、マスコミを集めての記者会見に応じました。
孤独死だったため、死因を解明するには診断する必要がありましたが、その結果は心不全ということが分かりました。
その後、大野誠さんは安らかで眠っているように荼毘に付されていたそうです。
生前の彼は、幼少期から自然と音楽を始めるようになり、楽器を弾き始め父親に音楽のアドバイスをしたこともあったといいます。
音楽の才能にあふれ父親も認める程の音楽家だったそうです。
最近の様子も特に変わった事は無く、体調が悪かったというような話は聞いていなかったようですが、悪かったとしても言わなかったのかもしれないと語っていました。
大野誠(北島三郎息子)は肝臓も傷めていた
大野誠さんは、大のお酒好きで毎晩かなりの量を飲んでいたそうです。
その為、肝臓を傷めていたそうですが、病院などには行かなかったという事です。
今回の死因との因果関係は無さそうですが、過度の飲酒は体に良くありません。
バイキングに出演した山本譲二さんも生前の大野誠さんについて涙ながらに語り、父親思いの良い奴だったとおっしゃっていました。
父親の北島三郎さんも自慢する息子だっただけに、今回の訃報は残念でなりません。
大野誠(北島三郎息子)のプロフィールと経歴
職業:会社役員
大野誠さんは、北島三郎さんの次男として生まれ、何不自由ない生活を送ります。
北島三郎さんのお子さんは5人おり、現在は三女で歌手である水町レイコさん以外は芸能関係の仕事はしていないようです。
※次女の大野智子さんの旦那は、演歌歌手で紅白にも出場した事もある北山たけしさんです。
演歌ではなくロックの道へ
今回亡くなった大野誠さんも若い頃はミュージシャンとして活動し、1988年に「1ST BLOOD」というロックバンドでリーダーを務め、MAKOTO名義で活動しておりました。
デビュー当初は、北島三郎さんの息子さんという事で注目が集まり、マスコミからも注目され「北島ジュニアライブデビュー発表会」の見出しでメディアにも大きく取り出されました。
日本青年館で行われたデビューイベントでは、北島三郎さんも会場に訪れライブを鑑賞したといいます。
父親譲りの高い歌唱力と高い音楽性で、バンドは人気を博しました。
その後は音楽制作の方に力を入れ、アニメ「おじゃる丸」のテーマ曲を作詞作曲し、北島三郎さんが歌うという親子のコラボを実現されました。
大野誠(北島三郎息子)は芸能界を引退し会社役員へ
音楽活動を終了した後は、北島音楽出版の役員として働いていました。
仕事も順風満帆でこれからという時でしたが、残念な結果となってしまいました。
北島三郎さん亡き後は、北島音楽出版を社長である長男の大野龍さんと役員の大野誠さんで引き継いでいくはずだっただけに、良き右腕がいなくなってしまい無念でしかありません。
プライベートでは、大野誠さんは結婚歴が無く独身だったという事です。
大野誠には彼女がいた
後の調べで大野誠さんには2歳年上の彼女がいたといいます。
父親の北島三郎も公認の仲で、北島音楽事務所の事務所開きにもパートナーとして出席したといいます。
北島三郎さんも、いい年齢に達している大野誠さんを思い
お前も早く俺を安心させてくれよ
と結婚について後押ししましたが、当の誠さんは結婚願望が薄かったのか
まぁ、そのうち、そのうちにね
と照れながら語っていたといいます。
亡くなった当日彼女は?
大野誠さんと彼女は半同棲状態だったといいます。
仲睦まじい姿を何度も見られているので関係は良好だったと見られています。
その彼女は、大野誠さんが亡くなった日は運悪く実家に帰省していたという事です。
もしも彼女が家にいたならと考えてしまうといたたまれません。
ネットでの反応
北島三郎さんの次男、大野誠さんが亡くなっていたというニュース。
子供に先立たれたサブちゃんはさぞつらかろう。キタサンブラックの活躍でこの上ない人生の至福を感じていた最中にこの上ない悲劇に見舞われるなんてな・・・。— 有馬琥珀 (@arima_kohaku) 2018年3月7日
北島三郎さんの次男
大野誠さん
おじゃる丸の主題歌の作詞作曲した人
※ 知らなかった すごい人だったんだ— 羽廣政男 (@m_hahiro) 2018年3月7日
大野誠さんを知らなくても、おじゃる丸のソングライターとしてかなりの知名度があるようです。
ソングライター時は、大地土子(だいち・とこ)名義で作詞作曲をしていましたが、名前や顔を知らなくても歌だけは知っているという方が多いようです。
その曲を演歌界の大御所である北島三郎さんが歌うのですから知名度は抜群です。
まとめ
偉大な父親を持ち、一時は同じ音楽家の道を志した大野誠さんですが、同じ舞台に立てて幸せだったかもしれません。
表舞台には出なくなりましたが、最後まで音楽関係の仕事に携わっていたという事は、やはり音楽というのが好きだったからではないでしょうか。
父親の大きな壁を超えることは出来ませんでしたが、オリコン初の親子でランキング入りを果たしております。
大野誠さんのご冥福をお祈り申し上げます。