winkの歴史を振り返る!再結成についても調査

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1980年代に彗星のごとく現れたアイドルがwinkです。

最初のうちはパッとしなかったものの、徐々に人気が出てきてサードシングルの「愛が止まらない」で一躍大ブレイクを果たしました。

出来たばかりの芸能事務所所属のアイドルが売れるというのは異例の出来事で、本人達もまさかここまで売れるとは予想していなかったといいます。

アイドルの頂点を極めたwinkですが、8年間という活動期間の中で様々な出来事がありました。

現在は活動停止中ですが、winkのお二人は対照的な人生を歩まれています。

デビューから現在までの道のりを詳しく見ていきましょう。

二人の出会い

元々面識のなかった二人ですが、UP TO BOYが開催したミスコンで共にグランプリを受賞した事をきっかけにアイドルデュオを組む事になりました。

▼雑誌 UP TO BOY▼

当時の事務所の社長さんが、二人に歌を歌ってもらったところ、見事に息の合った歌を披露してくれたのです。

これにより、winkが誕生した訳です。

winkという名前も色々あった候補の中から選び出したもので、マネージャーさんが思いついた名前だったといいます。

その他にもOZ(オズ)やトゥインクルといった候補があったのですが、winkに決定されました。

オズやトゥインクルだったら、またイメージが変わっていたかもしれません。

ほどなくして、鈴木早智子さんと相田翔子さんのwinkが始動いたしました。

最初はお客さんがガラガラ

最初は、当たり前ですがイベントなどの仕事をしてもお客さんが来てくれません。

▼デビュー曲 Sugar Baby Love▼

歌を披露しても、見てくれるお客さんが数人だったこともざらで、控室で泣いてしまう事もあったといいます。

デビュー曲のSugar Baby Loveは、当時大人気だった女優の南野陽子さんが主役のドラマで主題歌として採用されましたが、最高位は20位と振るいませんでした。

個人的にはこちらの楽曲は大好きで、切ない時に聴くと心に染み渡ります。

しかし、世間からの評価はいまいちでした。

その後も「アマリリス」といういかにもアイドルといった楽曲をリリースしましたが、やはり売り上げの方は振るいませんでした。

愛が止まらないでブレイク

いよいよwinkが日の目を見る事となります。

サードシングルの「愛が止まらない」が、フジテレビの「追いかけたいの!」のドラマで主題歌として使われ、見事にヒットしました。

winkを売り出す為に、数千万の赤字を抱えていたという事務所にとっても喜ばしい事で、一気に黒字転換してしまいました。

この曲のヒットのおかげで、一躍winkの名が世間に広まり、全国的にwinkフィーバーが起きます。

続く「涙を見せないで」「淋しい熱帯魚」と共にヒットを連発し、winkフィーバーも絶頂期を迎えます。

楽曲もさることながら、独自の振り付けも話題となり、各地でwinkのマネをする小中学生が続出していました。

正に世はwink一色に染まったのです。

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無表情も話題に

当時のアイドルといえば、明るい笑顔を振りまくというのが常識でしたが、winkはテレビに出演しても無表情のままでした。

一部では、わざと無表情を作っているのではないか?という憶測まで出ていましたが、本人達は至って普通で、テレビの出る緊張からか笑顔が作れなかったそうです。

しかし、そういったマイナスイメージも個性と捉えられてwinkは人気歌手となっていきます。

各局の歌番組には引っ張りだこですし、バラエティー番組にも数多く出演されていました。

当時はアイドル氷河期と言われている時でしたが、winkはアイドルとして独り勝ちをおさめている状態でした。

▼winkのベストアルバム▼

人気アイドルの宿命

テレビやCMにと大忙しのwinkですが、ある時、鈴木早智子さんがあまりの忙しさに我を忘れ、実家に帰ってしまうという出来事があったそうです。

人気アイドルとして、睡眠時間もままならない状況で、疲れやストレス、意識も朦朧としてしまったと推測され、ご自身でも訳の分からない状態だったのかもしれません。

歴代のアイドルもかなり壮絶な芸能生活で、キャンディーズやピンクレディーなども、ほとんど睡眠時間が無かったといいます。

後にピンクレディーの未唯さんは、ピンクレディーだった時代の記憶があまり無いとおっしゃっていました。

ピンクレディー時代には、あまりの忙しさに意識が朦朧とし、テレビの本番中に二人とも寝てしまうというハプニングもあったそうです。

それだけ、当時のアイドルは壮絶なスケジュールの中で活動していたということです。

芸能活動も命がけ!?

元ジャニーズの田原俊彦さんも、デビューしてから365日休みが無かったといいます。

休むどころか睡眠時間も削られ、芸能活動も命がけでした。

鈴木早智子さんもその後、現場に復帰し相方の相田翔子さんや関係者に謝罪したそうです。

それにしても芸能界というのは大変な所だという事がよく分かります。

人気にも陰りが・・・

セクシーミュージック辺りから、過剰な人気にも陰りが見え始めます。

この頃から路線変更を図り、純粋なアイドルから大人の女性を意識した楽曲や衣装が見立ち始めていました。

マンネリ化を防ぐために、どのアーティストでも実施する事ですが、ほとんどの場合、路線変更すると失敗に終わります。

winkも今までの人気が後押しして、一気にガクンと落ちることはありませんでしたが、徐々に楽曲の方の売り上げも少なくなって来ていました。

このままですと、どうなってしまうのでしょうか?

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「咲き誇れ愛しさよ」で再ブレイク

全盛期ほどの売り上げが上がらなかったwinkですが、「咲き誇れ愛しさよ」で再ブレイクします。

▼咲き誇れ愛しさよ 熱唱▼

こちらの楽曲は、当時脂の乗っていた人気アーティストの大黒摩季さんの作詞、作曲は日本が誇る最高の作曲家である織田哲郎さんが手がけた、正に売れる為に作られた楽曲といえます。

当時は、ビーイング全盛期で、日本の歌謡界を席巻していましたので、売れたのは当然かもしれません。

楽曲の方は大黒摩季さんらしいパワフルで力強い詩、詩を引き立てる織田哲郎さんの軽快なリズムも相まって素晴らしい楽曲となっています。

こちらの楽曲のヒットにより、winkも再び注目されるアーティストとなりました。

ブレイクは続かず

「咲き誇れ愛しさよ」で再び注目されたwinkですが、その後はヒットを飛ばすことはできませんでした。

人気がある時は、年商70億円もあったといいますが、2億円にまで下落してしまいます。

この事もあってか、事務所の方から活動停止の提案を受けたといいます。

鈴木早智子さんと相田翔子さんは休止したくなかったのですが、事務所の意向で解散ではなく、あくまで活動停止という措置となったようです。

▼winkとして最後のテレビ出演▼

ファンとしては解散では無いので、今後再結成する可能性も含めて期待するしかありません。

新曲は出なくとも、今まで残した素晴らしい楽曲は残るので、何度でも聞き直すことができますし、ユーチューブでも手軽に公式の動画を見る事も出来ます。

事実上の解散ではありますが、今後のお二人の芸能活動はどのように変化して行くのでしょうか?

活動停止後は二人に明暗(鈴木早智子さん)

本名:鈴木早智子

生年月日:1969年2月22日

出身地:東京都

身長:157㎝

職業:歌手・女優

鈴木早智子さんこと「さっちん」は、活動停止直後こそ昔取った杵柄で、そこそこ仕事が舞い込んでいましたが、だんだんと仕事量が減っていきます。

バラエティー番組にも精力的に出演しますが、元々おとなしい性格の為か出演数も徐々に無くなっていきました。

バラエティー番組は元来性に合っていないように感じました。

ASAYANへの出演がターニングポイント

しばらくテレビで見なくなっていたと思っていたら、当時の人気オーディション番組「ASAYAN」に出演していました。

その名も「再起に賭ける芸能人オーディション」です。

当時の人気音楽プロデューサーである小室哲哉さんのプロデュース権をかけて、かつての一流芸能人がしのぎを削るという企画です。

この当時、小室哲哉さんのプロデュースを受ければ間違いなくヒットする時代でしたので、みなさん必死にオーディションに挑んでいました。

オーディションを受けるメンバーの中で、鈴木早智子さんが最も芸能界で売れたメンバーである事は間違いありません。

誰しも小室哲哉プロデュースを受けるのは鈴木早智子さんであると信じていました。

いざ蓋を開けてみると・・・

いざ、オーディションが始まってみると、鈴木早智子さんが取り残されている感が強い印象を受けました。

メンバーの中で最も実績や知名度がある芸能人であるはずなのに、うまくいきません。

しかしプライドは高く、オーディションの開催地であるニューヨークへ向かう際も、エコノミークラスを嫌がったり、他のメンバーとの共同生活を拒否したりとテレビを見ている印象では、かなりワガママな一面を露呈する形となってしまいました。

結果的には、他のレコード会社から声が掛かり小室哲哉プロデュースを降りる形で、CDをリリースする事となりました。

リリースした新曲「INNOCENT SKY」はASAYANや音楽番組で披露したもののほとんど売れることはありませんでした。

ASAYANの出演がマイナスイメージに

ASAYANでの出来事がマイナスイメージにつながってしまったのは否めません。

それに、小室哲哉プロデュースとwink時代の楽曲はあまりにもかけ離れている為、当時のwinkファンからしてみますと残念な気持ちになってしまいます。

未だにファンの方は、winkの楽曲を聞いている人もいますので、世界観がまるで違う小室プロデュースの楽曲を聞いたとしても果たして喜ぶでしょうか?

どうしても、もう一度スポットライトを浴びたいという気持ちも分かりますが、当時のファンとしては裏切られた気持ちになってしまいます。

再起に賭ける芸能人オーディションでは一番の著名人でしたので、番組のタイトルにも何度も使われ、視聴率稼ぎの為にダシに使われてしまったのは確かです。

悪いイメージが付いてしまった鈴木早智子さんは、その後の芸能活動でもかなり困窮してしまったといいます。

現在では、テレビで見る事はほとんどなく、地道に芸能活動を続けていると推測されます。

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活動停止後は二人に明暗(相田翔子さん)

本名:相澤敬子

生年月日:1970年2月23日

出身地:東京都

身長:160㎝

職業:歌手・女優

相田翔子さんの方は芸能活動も順調で、その天然キャラを存分に発揮し、バラエティー番組を中心に活躍しています。

私生活でも司葉子さんの息子さんで医師の相澤宏光さんと結婚し、娘さんも一人授かっています。

料理も得意で、ご自身のブログで得意料理を日々アップしています。

公私ともに順調な相田翔子さんですが、活動停止中とはいえ、どうしても鈴木早智子さんと比較されてしまいます。

セレブ婚をした相田翔子さんが勝ち組、未だに独身の鈴木早智子さんが負け組と見られているようですが、結婚が全てでは無いですし、まだ芸能界でも注目される可能性はありますので頑張って頂きたいです。

wink結成30周年を迎えて

winkもめでたく30周年を迎えることができました。

▼日本レコード大賞でのひとコマ▼

活動停止中とはいえ、解散する事無くここまでこれたのは、お二人の努力の賜物に過ぎません。

wink時代は、全国を周ってコンサートに明け暮れたり、テレビやCMにと大活躍でした。

そのあまりに忙しいハードスケジュールから体調を崩すといった事もあったようですが、見事にここまでやってこれました。

30周年ということで、ファンとしては記念の全国コンサートを期待していましたが、そういった企画はありませんでした。

テレビの歌番組で当時のヒット曲を数曲披露したり、30周年の特設サイトを設置したり、記念のリマスター版が販売されたりしましたが、ファンが一番喜ぶコンサートというのは無かったようです。

今では別々の事務所ですし、難しい問題もたくさんあるので、実現には至らなかったのかもしれません。

30周年でも無いという事は、今後も実施される可能性はかなり低いと見られます。

winkの今後

活動停止後もお二人の仲の良さは変わりません。

頻繁に連絡は取りあっていますし、お二人で食事に出かける事もあります。

▼二人で食事をしている時の写真▼

wink時代も1度も喧嘩した事が無く、仲の良い姉妹といった感じです。

今の年齢を考えますと、再結成してまた芸能界で活動するという事は考えられませんので、やはり節目の年に歌番組で当時のヒット曲をファンの為に歌うというスタイルに留まるのではないでしょうか。

それでもファンとしては、当時の曲が聞けますのでうれしいかぎりです。

winkの思い出

winkの初コンサート

winkが全国的な人気となっていた頃、私はまだ中学生でした。

私もwinkのファンで、さっちん派でした。

コンサートは2回行き、1回目は地元の大学の学園祭で、2回目は明治製菓のキャンペーンで明治のお菓子を1000円以上買うとクジが引け、当たるとwinkのコンサートに無料招待してもらえるというものでした。

※当たるまでクジを引き続けていたので見事に当たりました。

学園祭に行った時は、コンサート自体も初めてだったので、ドキドキしたのを覚えています。

しかしいざコンサートが始まると、あまりに大きな大音量で耳がおかしくなり、暗くて遠かったのであまりお二人の表情は見えませんでした。

あの巨大なスピーカーの隣で歌っているwinkのお二人は、うるさくないのかと思っていたら、やはり相田翔子さんは突発性難聴になってしまったそうです。

鈴木早智子さんは大丈夫だったのでしょうか?

2回目のキャンペーンコンサート

明治製菓のキャンペーンコンサートは、やはりすごい人が集まっていましたね。

フリートークでは、鈴木早智子さんがピクニックに行った時のエピソードを語られていました。

コンサート後のグッズ販売では、黒山の人だかりができていて、当時中学生だった私は、お金が無かったのでwinkのロゴが入った小さなハンドミラーを購入したのが思い出です。

一緒にコンサートに行った同級生は、1万円以上買い物をしていました。

最後に一言「お金があればもっと買いたかった」には脱帽いたしました。

同級生は異様なほどの相田翔子ファン

一緒にコンサートに行った同級生は、相田翔子さんのファンで、部屋中winkのポスターで埋め尽くされていました。

販売されているwinkのCDはもちろん全て持っていましたし、ミュージックビデオも全部持っていました。

極めつけは、当時winkがCMをやっていたパナソニックのコンポ「D50」で、こちらのコンポを買わないともらえない限定のCDがあったのですが、同級生は迷わず一番高いコンポを購入し、限定CDをもらいご満悦の表情でした。

これほどまでにwinkは、人々の心を鷲掴みにする魅力を持っていた事になります。

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winkの裏話

紅白歌合戦は1度しか出ていない

若年層を中心に全国的に人気があって一世を風靡したwinkですが、意外にも紅白歌合戦は1度きりの出場に留まっています。

▼紅白初出場時の映像▼

タイミング的なものもあるかもしれませんが、これは意外でした。

これだけヒット曲があれば、もう少し出場しても良いような感じもしますが、紅白出場には、話題性や曲が売れる以外にもNHKの貢献度なども加味されますので、一概に売れているから即紅白出場とはならないようです。

あの「えなりかずき」ですら紅白に出場しているのですから、NHKの選考基準がよく分かりません。

winkのCDの売り上げを見ましても、セクシーミュージックをピークにして下降線をたどっていますが、もう少し紅白で歌う姿を見たかったです。

相田翔子さんはミスが多かった

今はユーチューブで手軽に過去の映像を見ることができますが、winkも全盛期の映像が手軽に見ることができます。

その中で相田翔子さんは、コンサート中に歌の歌詞を間違えたり、振り付けを間違えたりする映像が今でも残っています。

▼オールナイトフジにて▼

どんな歌手でも歌詞が飛んだり、ダンスを間違えたりといった事は起きていますが、相田翔子さんの天然エピソードを語る上で欠かせない事実です。

相方のさっちんは楽屋でダメ出しをする事なく、励ましていたのではないでしょうか。

winkのパチンコも出ている

今ではお目にかかる事は出来ませんが、winkのパチンコも出ていました。

当時のファンとしてはプレイしてみたいものですが、恐らく今ではどこのパチンコ店にも置いていないでしょう。

映像のみでお楽しみ下さい。

▼CR ウインク▼

まとめ

winkとしてアイドルの頂点を極めた鈴木早智子さんと相田翔子さん。

ピンクレディーに憧れていたという鈴木早智子さんは、負けず劣らずの地位まで確立されましたね。

相田翔子さんも、素敵な旦那様と出会って楽しい毎日を過ごしているのではないでしょうか。

様々な事がありましたが、彼女たちが残した作品はいつまでも残りますので、winkファンならずとも見る価値は大いにあります。

特に「愛が止まらない」のプロモーションビデオは、現代の人が見ても古臭さは感じない見事な出来栄えです。

winkを知らない10代~20代の方でもユーチューブの公式サイトでwinkの楽曲が手軽に見られますので、一度視聴してみて下さい。

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