加藤廣志が死去!死因は肺腺がん!顔画像や能代工業高校バスケットの経歴などを調査

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3月4日に秋田県立能代工業高校バスケット部の監督を務めた加藤廣志さん(80)が肺腺がんの為亡くなりました。

加藤廣志さんといえば、日本を代表するバスケットボールの名門能代工業高校の監督で、常勝軍団としてその名を全国に知らしめました。

加藤廣志さんも秋田県生まれで、高校も能代工業高校の出身です。

日体大を卒業し、母校のバスケットボール部を全国制覇させるために能代工業高校バスケットボール部の監督に就任しました。

それでは加藤廣志さんの詳細を見てみましょう。

加藤廣志さんのプロフィール

名前 加藤廣志(かとう・ひろし)
年齢 80歳
出身 秋田県山本郡藤里町
最終学歴 日本体育大学
職業 元高校教諭

加藤廣志さんも高校時代からバスケットボールの魅力に取りつかれ、選手として活躍しインターハイに初出場します。

日本体育大学でもバスケットを続け、大学時代もセンターとして活躍しました。

大学で教員免許を取り、母校である能代工業高校に赴任し、保健体育の教員となり同時にバスケットボール部の監督にも就任したのです。

加藤廣志さんが就任してからの能代工業高校バスケットボール部は、無類の強さを発揮するようになり、全国大会では33回の優勝を誇り、インターハイや国体でもそれぞれ11回も優勝し、3冠も5回成し遂げています。

全国的にもバスケットボールといえば能代工業高校といわれる程の常勝軍団に作り上げたのです。

バスケットの銅像まである

全国でも敵無しといわれる程の強さにまで成長した能代工業高校ですが、その勝ちにこだわる姿勢は貪欲で、県外でも強豪校があると聞けばすぐに選手たちを連れ練習試合を行ったり、練習もかなりハードだったといいます。

しかし、バスケットの楽しさというのも選手たちに教え、楽しみながら強くなるというスタンスも持ち合わせていました。

能代工業高校のバスケットボール部の活躍により、秋田県がバスケットの聖地的な扱いになり、特に能代市は「バスケの街」や「バスケ王国」とまで呼ばれ、駅前にはバスケットの像まで建っています。

これは一重に、加藤廣志さんの功績によるものです。

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加藤廣志さんの教え子も成長

加藤廣志さんの教え子で有名になった選手はたくさんいますが、その中でも加藤三彦さんは大活躍した選手の一人です。

高校時代は、キャプテンを任され3冠を達成する等の輝かしい実績を元に、社会人となってからもバスケットの日本代表に選出されるなど、バスケットの選手として活躍しました。

その後は、加藤廣志さんと同じく指導者の道に進み、若干25歳という若さで能代工業高校のコーチに就任したのです。

加藤廣志さんが勇退した後は、その遺志を受け継ぎ能代工業高校バスケット部の監督に就任し、引き続きその強さを維持しつつ新たな戦略を打ち出していったといいます。

田臥勇太な日本人初のNBAプレイヤー

能代工業高校のバスケット選手で忘れてはいけないのが田臥勇太選手です。

高校時代は、173㎝と小柄ながらもスピードのあるドリブルと、巧みなパスを武器に高校の3大タイトルを総なめにしました。

田臥勇太さんの出身は神奈川県横浜市ですが、バスケットの名門である能代工業高校に入り腕を磨いたという訳です。

試合では負ける事がほとんどなく、負けるとニュースになる程の強さだったといいます。

田臥勇太さんは高校卒業後、大学に入ってもバスケットを続け、社会人になってからも日本ではまだ実業団だったスーパーリーグで活躍しました。

その活躍が認められて日本人初のNBAプレイヤーになったのは言うまでもありません。日本人では到底無理と言われたNBAプレイヤーになれたというのは、日本人にとっても快挙でした。

現在は37歳となっている田臥勇太さんですが、いまだに現役でバスケットの選手として活躍されています。

世界的に有名なアニメのモデル

高校バスケットといえば能代工業高校といわれるまで成長しましたが、人気アニメのモデルとしても活用されていました。

それは皆さんご存知の大ヒットアニメ「スラムダンク」です。

スラムダンク内に登場する湘北高校が全国大会に出場した際、2回戦に登場するのが常勝軍団として君臨していた山王工業高校です。

こちらの山王工業高校は、湘北高校が神奈川県大会で負けてしまった海南大付属高校よりも更に強い高校として登場していました。

これは正に実在する能代工業高校そのままで、そのチームに本当に勝てるのか?というのがこちらのアニメの見どころでありました。

世界的にも有名になったアニメに登場するという事で、やはり能代工業高校というのは本当に凄いチームなのだなと感心してしまいます。

まとめ

たった一代で能代工業高校バスケット部を全国区にしてしまった加藤廣志さんの功績は偉大です。

その遺志を教え子である加藤三彦さんがしっかり受け継ぎ、今でも常勝軍団として高校バスケット界で君臨しているのです。

監督を勇退後も試合を見に何度も体育館に足を運んだといいます。やはりご自身がいなくなった後でもバスケット部が心配だったのだと思います。

最後は安らかに亡くなっていったそうなので、バスケットに没頭できた素敵な人生だったといえます。