レツゴー三匹の長作死去!死因や病名は肺がん 顔画像や家族や子供を調査

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2月1日の午後8時35分に人気お笑いトリオ「レツゴー三匹」のレツゴー長作こと永原誠さん(ながはらまこと)が、大阪市内の病院で亡くなった事が分かりました。

2月4日に所属事務所の松竹芸能が発表したもので、死因は肺がんで年齢は75歳でした。

既に通夜と葬儀は近親者のみで執り行われ、密葬されたとの事です。また本人の意思を継ぎお別れ会はしないそうです。

レツゴー三匹としてお笑い界をけん引してきたトリオの詳細を見てみましょう。

レツゴ-三匹のプロフィール

名前の由来は「三匹」という焼き鳥屋さんにちなんだもので、これだけではインパクトが無いという事で頭にレツゴ-と入れました。

初期のメンバーには、長作さんは居ませんでしたが一人抜けたことで新メンバーとして後から入った経歴があります。

レツゴ-三匹のお決まりギャグは「じゅんでーす」「長作でーす」と二人が挨拶した後に「三波春夫でございます」とボケるのがお決まりのギャグとなっていました。

漫才のクオリティーは非常に高く、上方漫才大賞などの賞も数々手に入れていますし、直弟子には太平サブロー・シローや幸助・福助を排出し、後世にもお笑いの技術を伝えています。

私は40代で、小学校時代にレツゴ-三匹の漫才を見ていましたが、いつもメンバーのレツゴー一修とレツゴーじゅんが二人だけで漫才をしていて、長作さんはたまに「ぼそぼそっと」一言・二言いうだけの存在でした。漫才になると非常に大人しい印象でした。

レツゴ-三匹で一番若かったレツゴ-じゅんさん(逢坂じゅん)は、2014年に脳出血で既に亡くなっています。これでレツゴ-三匹は、お一人となってしまいましたね。

長作さんのプロフィール

本名 永原誠さん(ながはらまこと)
出生地 岡山県都窪郡妹尾町
生年月日 1943年9月29日~2018年2月1日(75歳没)
最終学歴 妹尾町立妹尾中学校
職業 漫才師・俳優・歌手

両親は岡山を中心として活動していた旅役者でした。両親の影響を受けて長作さんも中学卒業後は、俳優の道と進むべく松竹新喜劇に入団しますが、松竹新喜劇を辞めてお笑いの道に進みます。

様々なお笑いコンビと組んだのち、じゅんさんと正児さんに誘われる形でレツゴ-三匹に加入したのです。

レツゴ-三匹として長年漫才を続けてきましたが、1990年代から徐々に活動が減っていき、遂には事実上休止状態となった為、以前携わっていた俳優業を本格化させ、数々のテレビドラマに出演する事となります。

歌手としても顔も持ち「人・長作」として活動していました。

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以前から体調不良が伝えられていた

2016年3月末には「進行性肺がん」と医師に宣告され大阪市内の病院で入退院を繰り返しており病状が心配されていました。

ご家族は、奥さんとお子さん3人(長男、長女、次女)がおり、家族総出で長作さんの看病をし、本人も積極的に放射線治療や抗がん剤治療を受けて必死に生きようとしました。

治療の甲斐があってか、一時は快方に向かっていましたが、またしても昨年の夏ごろは、抗がん剤の効果も薄くなり体調が悪くなってしまいます。

去年の2月には「おもろい女」という舞台の出演も決まっていましたが、休演せざる負えなくなりファンも心配していました。

去年の年末には回復の見込みがないと判断し、今度は緩和ケアに入り少しでも楽に余生が過ごせるようにと、家族が環境づくりをしてあげて本人も悟ったのか「家族仲良く、お母さんを大事に」という言葉を繰り返し家族に伝えていたといいます。

何とか年は越せたものの体調は回復する事は無く、2月1日に家族に看取られながら帰らぬ人となりました。

ネットでの反応

ネット上からも悲しみの声が上がっています。一番多かったのが、今まで「レッツゴー三匹」だと思っていたが実は「レツゴ-三匹」だったのか!というコメントです。

実は私もレッツゴー三匹だと勘違いしていました。今回はその事が分かっただけでも良かったです。

若い方はレツゴ-三匹の漫才は見た事が無い人が多いと思いますが、以前は良くテレビに出ていて、笑点のオープニングで漫才をしたり、今では無くなりましたが、ゴールデンのネタ見せ番組で漫才を披露していました。

三人の中では、非常に目立たない存在ではありましたが、長作さんが居ないとレツゴ-三匹ではない独特の存在感がありましたので、やはり長作さんは欠かせないメンバーの一人だったのだと思います。

ご冥福をお祈り申し上げます。