高野忍の現在!プロ野球やプロレス 顔画像や家族や子供などを調査

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今から約9年程前にプロ野球選手からプロレスラーに転向し、話題となった高野忍さんという方をご存じだろうか?

私もおぼろげながら、当時の記憶が残っており異色の転向劇に驚いたものです。

しかし、プロ野球界からプロレスラーに転向した人物は高野忍さんが初めてではないのです。若い人は知らな方がほとんどだと思いますが、あの大巨人ジャイアント馬場さんも元は巨人軍の選手で、お風呂場で転倒して手を切り野球が出来なくなり、その後プロレスラーに転向した経緯があります。

高野忍さんも巨人軍に入団して解雇されプロレスラーになったので、ジャイアント馬場さんと経緯は同じです。

そんな高野忍さんの詳細を見てみましょう。

高野忍さんのプロフィール

誕生日 1974年12月10日(43歳)
出身地 和歌山県那智勝浦町
最終学歴 和歌山県立箕島高等学校
●社会人時代 中山製鋼所
●プロ野球時代 読売ジャイアンツ
●プロレス時代 ZERO1

箕島高等学校では野球部に所属し、春の選抜に出場したが2回戦で敗退し、その後も夏の甲子園を目指すが甲子園のキップは掴めずに高校時代を終える事となります。

しかし、野球への情熱は冷めずに社会人になっても継続し、プロ野球選手になる為に日々練習に明け暮れます。

社会人になっても野球を続けてきましたが、給料がわずか12万円程しか貰えなかったので、さすがに止めようと思った矢先にチャンスが訪れます。

ある日にスポーツ紙を読んでいた時に、巨人軍入団テストの募集記事が出ていたのです。早速申し込み1次テストを通り、2次テストに挑みますが、その時に2打席連続で本塁打を放ったのです。

この事が、巨人軍のスカウトの目に留まり晴れて憧れの巨人軍に入団する事が出来たのです。

プロ野球の世界は甘くなかった

身長183㎝、体重92㎏という恵まれた体格を武器に鳴り物入りで巨人軍に入団した高野忍さん。

ドラフト8位でしたが、当時の長嶋茂雄監督は、そのたぐいまれなる怪力を高く評価し、育て上げれば1軍入りも夢ではないと思われる逸材でした。

しかし、当時の巨人軍は清原和博選手や松井秀喜選手や高橋由伸選手など層々たる顔ぶれで、怪力に自信があった高野忍さんですが、とても太刀打ちできないと悟ったそうです。

それに打席ではまずまずの結果を出していましたが、守備と走塁に問題があったので、プロ野球選手として5年間在籍しましたが、一軍での起用は僅か17試合18打数3安打1本塁打という成績に終わっています。

プロの世界の厳しさをまざまざと痛感した高野忍さんですが、5年間とはいえ憧れの巨人軍に入りプロ野球選手になれただけでも夢が叶って良かったのではないでしょうか。

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プロレスラーに転向

巨人軍から戦力外通告を受けてしまった高野忍さんですが、やむなく本業ともいえる鉄骨業や看板業に従事する事となります。

そんなある日、巨人時代から親交があった橋本真也さん率いるプロレス団体ZERO1のリングアナウンサーだったNaokiさんから「プロレスをやってみないか」というお誘いを受けます。これもプロ野球選手になった事での縁ですが、高野忍さんは快諾しました。

高野忍さんは、元々人並み外れた怪力の持ち主ではありましたが、以前は空手もやっていたこともあり、自分の実力を試す機会という事で、ファイトマネーは僅か10万円でしたが、引き受ける事となったのです。

2009年2月14日にプロレス団体ZERO1のリングに上がった高野忍さんですが、お相手は空手の達人でお弟子さんもたくさん抱える小笠原和彦選手でした。

小笠原和彦選手といえば、空手家でありながらプロレスラーとも対戦経験がある手ごわい選手でしたが、高野忍さんは初戦でありながら「裸絞め」を決めレフェリーストップとなり、見事に初戦を白星で飾ることが出来ました。

続く2戦目も勝利し、このままプロレスラーへ転向か?と思われていましたが、プロレスラーは体を酷使するので長くは続けられないとして2試合のみでリングを去る事となりました。

プロレスラーはやめておいてよかった!?

プロレスラーとしては末恐ろしい選手となっていたかも知れなかっただけに、残念ではありますがプロレスに詳しい私の意見からすると、やめて良かったでしょう。

私もプロレスが好きでよく見ていますが、プロレスラーの末路は酷いものです。未だ現役の武藤敬司選手は両膝がダメですし、引退した小橋建太選手の左膝は日常生活にも支障をきたすほどに悪いです。

これまた引退した佐々木健介選手も腰痛で、いまだに苦しんでいます。全日本プロレスで活躍したスタンハンセン選手は両腕両足に人工関節が入っていて現在では仕事も出来ない状態といいます。

数え上げたら切りがないですが、時には試合中に不慮の死亡事故も起きてしまう格闘のリングでは、不測の事態が起きかねませんので2試合で引退した高野忍さんは、良い選択をしたのかもしれません。

元々、プロに転向する気はなく単なる腕試し的な感覚だったのかもしれませんが・・・。何とその後には、K1でも活躍したジェロム・レ・バンナ選手とも対戦する可能性もあったというのですから、本物の格闘のプロと戦っていたら本当に殺されていたかもしれません。

高野忍さんの家族や子供

高野忍さんはその後、鉄骨業を営みながら資金を貯めて念願の野球教室を開く事が出来ました。

自身のプロ野球選手時代の経験を将来の子供達に伝えるべく、日々指導に熱が入っています。

現在では、60人ほど在籍している野球教室ですが、その中には高野忍さんの息子である高野信元さんも含まれており、高校時代は甲子園にも出場し、投手として中継ぎとして活躍し、現在では中京学院でも野球を続けています。

息子の高野信元さんも卒業後は父親の意思を継ぎ、プロ野球選手を目指しているのかもしれません。

高野忍さんが逮捕!?

何故か高野忍さんで検索すると逮捕の文字が目立ちます。調べてみると高野忍さんにはもちろん過去に逮捕歴はなく前科もありません。

これは、同姓同名の別人による情報なので、本人には一切関係の無いものです。

まとめ

夢を諦めずに野球を続けた結果、プロ野球選手になれた高野忍さん。その縁でプロレスラーにまでなってしまったのも運命だったのでしょうか。

第二のジャイアント馬場にはなれませんでしたが、リングネームもジャイアント馬場にちなんで、ジャイアント高野やジャイアン高野など変な名前を付けられそうになったというエピソードがあります。

二つの夢を叶えた高野忍さんですが、今度は息子さんをプロ野球選手に育てて三つ目の夢を叶えて下さい。